◆朝倉象棋とは

将棋の盤駒を用いた、あるいは将棋をヒントにした、将棋のヒントとなった
数ある将棋類の中の一つです。
1973年に一乗谷朝倉氏遺跡で「酔象」の駒が出土したことから
福井県将棋連盟が「酔象」を使った古将棋の一つを「朝倉象棋」と考案、
再開させると共に普及させていきました。

◆主な出来事

「朝倉象棋」の主な出来事です。

1973年  夏  一乗谷朝倉氏遺跡より「酔象」の駒が出土
1997年 4月  講習会を行い、「朝倉象棋」の普及が始まる
1997年 8月  越前朝倉戦国まつりで初めて朝倉象棋大会を開催
2004年 4月  ふくい春まつりにて初の女流プロによる公開対局
2010年 8月  「地域伝統文化総合活性化事業」として文化庁が選定
2010年11月  第1回 文化庁認定 越前朝倉象棋大会が開催

◆朝倉象棋のルール

「朝倉象棋」は将棋の駒に「酔象」という駒を加えます。
将棋は40枚の駒を使用しますが、
「朝倉象棋」は42枚の駒でする将棋です。
「酔象」にはほかの駒にない特殊なはたらきがありますが、
それ以外は将棋のルールをそのまま適用します。
初期配置ですが、「酔象」は玉の上、飛車と角の中間になります。
「酔象」は敵陣に入って成ると「太子」になります。
初期配置図と「酔象」「太子」の駒の動きは下図になります。

 

「酔象」は「太子」になると、玉と同じはたらきをします。
つまり、玉だけ詰まされても負けになりません。
勝利するためには、「太子」と「玉」の
一方を取って、残りの一方を詰ます必要があります。
「酔象」の場合は「玉」を詰ませば勝ちです。
また、「酔象」を持ち駒として使用することはできません。
相入玉した場合は、おそらく引き分け若しくは無勝負になります。
過去の棋譜が無いため明確にルール化はできないようです。

◆福井の大会でのルール

福井の大会では、運営の都合上ルールが少し変わります。
自分の「酔象」が敵陣に入って「太子」になった場合、
「太子」「玉」両方を残したまま自分の手番が来れば勝ちになります。
もし相手に「太子」を作られたなら、
自分の手番で相手の「太子」か「玉」を取らないといけません。
負けになります。
取ったのであればそのまま続行です。
相入玉の場合は
「酔象」が残っていれば、「太子」にできるかの勝負になります。
「酔象」が残っていなければ、(「太子」は「玉」とみなします)
通常の27点法を適用するか、切れ負けの勝負になるようです。

◆プロの棋譜

「朝倉象棋」はプロも指したことがあります。その代表を紹介します。

2007年4月 朝倉象棋公開対局より
先手  山田 久美 女流三段
後手  安食 総子 女流初段
▲7六歩  △3四歩  ▲2六歩  △4四歩
▲4八銀  △4二銀  ▲5六歩  △8四歩
▲7八金  △8五歩  ▲7七角  △3二金
▲6九玉  △4一玉  ▲5七銀  △5四歩
▲8八銀  △6二銀  ▲4六歩  △5三銀右
▲2五歩  △3三角  ▲3六歩  △4三酔
▲4七酔  △3一玉  ▲5八金  △7四歩
▲5九角  △6四銀  ▲7七銀  △5二金
▲6六歩  △7五歩  ▲同 歩  △同 銀
▲6七金右 △2二玉  ▲7九玉  △9四歩
▲1六歩  △1四歩  ▲7六歩  △8四銀
▲2六角  △5三酔  ▲3七桂  △4三金右
▲3五歩  △同 歩  ▲同 角  △3四歩
▲2六角  △9五銀  ▲3六酔  △6四歩
▲2四歩  △同 歩  ▲1五歩  △同 歩
▲2五歩  △同 歩  ▲同 桂  △2四角
▲1三歩  △6五歩  ▲1五香  △6六歩
▲同 金  △6五歩  ▲6七金引 △8六歩
▲同 歩  △8五歩  ▲1八飛  △8六角
▲8三歩  △同 飛  ▲1二歩成 △3一玉
▲8八歩  △4一玉  ▲1一と  △3三桂
▲9六歩  △8四銀  ▲8六銀  △8五歩
▲7七銀  △7五歩  ▲1二香成 △7六歩
▲同 銀  △7三桂  ▲7四歩  △7七歩
▲同 金上 △7五歩  ▲8七銀  △8六歩
▲7三歩成 △同 飛  ▲8六銀  △8五歩
▲9七銀  △9五歩  ▲同 歩  △9六歩
▲同 銀  △9五香  ▲同 銀  △同 銀
▲同 香  △7六銀  ▲7八香  △4五歩
▲2一と  △2五桂  ▲同 酔  △3三角
▲1四酔  △6七銀成 ▲1三酔成
まで123手にて山田女流の勝ち

◆出土駒について

特別史跡一乗谷朝倉氏遺跡から出土した将棋の駒は174枚で、
戦国時代の娯楽や将棋の歴史を知るうえで欠かすことができません。
当時としては最古の出土駒であり、枚数からも大きく取り上げられます。
そのためこれらの出土駒は「朝倉駒」と名付けられました。
「朝倉駒」のほとんどは現在の将棋で使用されている駒ですが、
一枚だけ「酔」と書かれた駒が出土しています。
「酔」が含まれる駒には、中将棋で用いられる「酔象」がありますが、
「酔象」以外に中将棋で用いられる駒は発見されていません。
そのため、「朝倉駒」を用いて興じられていた将棋は
中将棋ではなく、小将棋だろうと考えられています。
「朝倉駒」には角が12枚発見されていますので、
少なくとも6組の将棋があったことになります。

◆出土駒から見える将棋史

174枚の出土駒については、増川宏一氏が書いた
『将棋の駒はなぜ40枚か』に詳しく述べられています。
この中で増川氏は、出土した174枚の駒を中心に
将棋の駒数が42枚から40枚へ変換していく時期を推測しています。
駒の推定年は1560年~1567年ですが、
その頃には「酔象のある少将棋」と「酔象のない少将棋」が共存し、
しかしまた、「酔象のある少将棋」は衰退期に入っていたとしています。
増川氏は小将棋のことを著書の中で少将棋と書いています。
「酔象のある少将棋」の初期配置は「朝倉象棋」と同じです。
ただし持ち駒の使用ができたかは分からないとしています。

◆戦国時代の朝倉象棋

増川氏は持ち駒の使用については不明としましたが、
一方で、木村義徳氏は『持駒使用の謎 日本将棋の起源』で
将棋の持ち駒使用は1050年頃に始まったと主張しています。
また、2017年11月現在のWikipedia、将棋のページでは
1300年頃には持ち駒の概念があったことを有力説として述べています。
これらの主張を合わせて(いいとこ取りして)考えると
朝倉氏をはじめ多くの戦国武将たちが興じていたのは
正しく「朝倉象棋」ということになります。
夢が広がりますね。
2016年の大河ドラマ「真田丸」の第1回「船出」に
真田信繁(幸村)である弟源次郎が
将棋(おそらく朝倉象棋です)を並べるシーンがありますが、
ひょっとしたら実際に指されていたかもしれません。

◆朝倉象棋はやさしい

増川氏は出土した駒の多くには進む方向に印が付いていることを紹介し、
初心者が将棋を覚えるための工夫と言われています。
たとえ駒の字が十分に読めなくても、
将棋を指せるように考えられていると述べられています。
福井の将棋は初心者、初級者、
まだ漢字が十分でない子供たちにやさしいのですね。


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